多くの人に育てられて

『地元で、何かやってみたい』
意識をしていたわけではありませんが、学生時代から、どこかでいつもそう思っていました。
私は、昭和36年にこの安城市に生まれ、
一面が田園風景という自然環境と、人柄のやさしい土地柄に育ちました。
長男ということもあって、家業の木材業の手伝いをさせられ、
職人気質の父親に厳しくきたえられました。
今でも、そのころの、檜、杉、松などの丸太が土場一面にあり、
熟年の大工さんが皮むきをし、墨をつけて手刻みの作業をしている、
活気ある姿を鮮明に思い出せます。
私は、人の喜ぶ顔が好きです。
家族、社員、そしてお客様、地域の皆様、
関わる全ての人たちと言ったら大げさかもしれませんが、
自分の周りの人に笑顔でいて欲しい。
そんな私が、会社を興し、建築屋になったのは、
職人たちの背中を見て育った私にとっては、
ごく自然な流れでした。
いつの間にか「何かやりたい」から
「地元の皆様に喜ばれる、
地域に密着した建築屋になりたい」と
変わっていたのです。